朝起きると胸が苦しい。
どうしようもない不安で胸が何かで刺されたように痛みを発する。
これは一体何なんだろう。私はどうかしてしまったのか。
心も体も重い。
不安の正体は一体何?
心の奥底にある黒い塊が容赦無く襲いかかってくる。
こんな時、必死に前向きな言葉を発しても、気分転換しようとしても、なぜかその不安を手放そうとしない自分がいる。
これは何かのトラウマなのだろうか?必死に乗り越えようとするよりも、受け入れてしまった方が楽なのだろうか?
宇宙が私たちに与えてくれたのは、幸せや喜び、感動などの感情だけでなく、真逆の絶望、不安、怒り、恐れなど、一般にネガティブと思われるものとセットだ。
この厄介な感情も、ここに「ある」ということの意味は何だろう。必要だということなんだろうか?
不安や恐れはとっても嫌な感情で、苦しくて今すぐにでも排除したいと思うのに、そうしようとすればするほど、なぜかもっと深みにはまっていってしまう。
苦しい、出たい。
もし宇宙がこの感情もとても大切な体験として、敢えて授けてくれたとするならば、この苦しい想いすらも愛おしく大切に味わえばいいのだろうか。
この原因不明な心の闇を、優しく抱きしめてあげればいいのだろうか。
闇を知らないことは、光を知らないことと同じだと聞いたことがある。
もしかしたら自分にとって、ものすごく大切な体験を今、まさに味わっているのだろうか?
光を知るために?
万能な宇宙エネルギーは決して無意味な事はしない。わたしたちが無意味だと思うことにすら、意味があるのかもしれない。
もしかしたら、とっても大切な体験を今、させてもらっているのかもしれない。
だとしたら、ポジティブ礼賛旋風が吹き荒れるこの世界で、逆にネガティブを大切に扱ってみようか。
早速、今日はこの突き刺さるような深い痛みを、「あなたを大切に思うよ」と抱きしめてみることにする。あなたも私の一部だから。
結果はまた次回。
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